もしも都会の女子社員が日本で園を開いたら。

Japanese

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「チャッキー!」

洋菓子店『まるぐりっとAmis』(略して“まるアミ”)の裕美子さんの嬉しそうな声が、澄んだ秋の空に響き渡る。

2012年10月20日。千晶らはバタバタしながらも何とかマリンイベントの日を迎えることができた。初日の朝8時、現地で裕美子さんらと合流し会場のイベントブースの設営に取り掛かかったが、枝豆を茹で始めた頃にはすでにイベント開始のアナウンスが聞こえ、全員「わ、やばいやばい」と慌ててプライスボードなどをブースの前に整列したりと、興奮も緊張も冷めやらぬ慌ただしい状況のままイベントは幕を開けた。

チャッキーファーム陣営は千晶のほか、このイベントを紹介してくれた部長と、休みを返上して手伝いに来てくれた会社の仲間3名の布陣。まるアミサイドは裕美子さんとお店のスタッフ1名の2名体制で今回のイベントに臨んだ。千晶は裕美子さんのフォローも行うつもりであったが、いざイベントが始まるとどちらも慌ただしくなり、次々覗きに来てくださる来場者の対応に追われ、あっという間にお昼を過ぎていた。

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今回の千晶らの目的は「テストマーケティング」―イベント開始前に部長が提案し、「この枝豆が地元エリアでどれだけ通用するか、その動向を探ろう」―と決めた。今回用意した枝豆は全150束。これを2日間で売り切ることを目標に設定。価格は1枝(約1.5kg)1,500円。ネット販売(2kg3,000円弱)よりちょっとおトクな価格設定。味さえ認めてもらえれば絶対売り切れる!千晶は初めて丹波黒の枝豆を食べたときの感動を思い出しながら確信していた。

後で話を聞いてわかったことだが、初日の来場者数はのべ500組ほど。今回主催者側が新しい試みを展示会で実現したいという強い要望もあって、事前のDMでも「秋の味覚コーナー」と「ネイルコーナー」を大きめに取り扱ってくれていた(その一環で枝豆、まるアミそれぞれのDMも出してほしいと要望されていた)。そのためブースは大盛況とまではいかなかったが、文字通り「休むヒマもない」ほどの盛況ぶりだった。とくに隣のまるアミブースとの相乗効果もあって、互いのブースをハシゴする家族連れも多い。またDMの影響か、主催者側(マリンボート)のイベントスタッフも「気になりすぎて、つい来ちゃいました!」とわざわざ試食に来てくださったり、なかには購入してくださる方もいた。

千晶は準備の段階で枝豆を茹でるのに手こずり、販売にほとんど手が回らなかった。その間、応援に来てくれた同僚が対応してくれたのだが、枝豆をせっせと準備している傍らに見る店頭はお客様が絶えず、これは手ごたえアリだ!とモチベーションは上がる一方だった。

昼食を食べる時間もほとんどなく、気づけば夕方。初日はあっという間に終了した。枝豆はまだ余っているものの、あの集客ぶりなら目標の半分くらいは売れたかもしれない。ブースの片づけをしながら、千晶は心の中でガッツポーズをしていた。

しかし―

 

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「―えっ・・・・・・?25束・・・・・・ですか?」

応援に来てくれていた経理担当者に出してもらった初日の集計結果を聞いたとき、千晶は一瞬自分の耳を疑った。

・・・・・・あれ?

「お客さんはけっこう来てたと思ったんだけどなぁ」

隣にいた部長も意外な表情を浮かべている。

「みんなはどうだった?今日売り場に立ってみて、お客さんの反応は良かったように見受けられたけど」

「そうですね・・・・・・思ったより試食してくださる方が多かったので、その対応にバタバタしてたところはあったと思うんですけど・・・・・・」

経理の恵子さんも首をかしげている。

「ごめんなさい、私が段取り悪くてあまり売り側に立てなかったのもあると思います。もっと来てくれた方とちゃんとトークできればよかったんだけど・・・・・・」

千晶も今日の自分の行動を反省し、ぺこりと頭を下げる。

「ん、まあ、今日は初日で慣れない部分もあったし、明日はもうちょっと効率よくできるだろう。目標値には届かなかったが、まあまあの出だしじゃないか?」

少し沈んだ場の雰囲気を盛り上げるかのように、部長がぽんと手を叩く。

「明日は日曜!今日よりも大勢の人が来るぞ!いよいよ本番だ!」

そうだよね。明日が勝負だ!―千晶も気を取り直して、はい!と元気な声を出す。

「ですね!みなさん、明日もよろしくお願いしますっ!」

最後は全員で円陣を組み、明日の巻き返しを誓って解散した。

 

家に着き、千晶は今日一日チャッキーファームをまかせっきりにしていた謎の作業員に電話し結果を報告した。

「―というわけで、お客さんは賑わっていたんですけど、思ったより売れませんでした・・・・・・」

「ほーか」

へぼいのぉ!とか、てっきり鼻で笑われるか怒られるかと想像していた千晶は、謎の作業員の落ち着いた反応にやや面食らった。

「今日は正直、私が作業に追われて声出しとか呼びかけとかほとんどできてなくて・・・・・・」

電話の向こうで、謎の作業員も黙っている。落ち込んでいる、というよりは、何かを考えているような雰囲気が受話器ごしに伝わってくるようだ。

「園長よ、今日はおまえが豆を茹でたりしてたんだな?」

「え、あ、はい。そうです」

「明日は売り側に立ってみぃ。ほんでできるだけ客と話をするんや」

それは千晶も思っていたことだった。丹波黒枝豆を試食してくれた人がどんな反応を示したのか。この目と耳でしっかり確かめたい。

「はい。私もそう思ってました。明日は売る側に立ちます。部長のおっしゃってた、テストマーケティング、ってことですよね」

「―そうや。農園のことはワシにまかしとき」

「はい。よろしくお願いします」

今朝は売れると思って疑わなかった。しかし現実はそれと違う結果だった。

何か見落としていることがある―千晶はそう確信していた。

明日はぜったいそれを突き止める!そして150束売り切るんだ!そう決意した瞬間、今までせき止めていた眠気ダムが決壊したのか猛烈な眠気が押し寄せ、千晶は文字どおり「秒殺で」眠りについた。

 

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翌日も、同じメンバーが現地に集合した。昨日の変な空気を払しょくするかのように、全員に「今日はやってやる!」という熱意がみなぎっている。昨日の帰り際に打ち合わせたように、今日は茹で作業などを他のメンバーに極力任せ、千晶は販売メインで動くことにした。

「それでは最終日、みなさんよろしくお願いします!」

2日目最終日は日曜ということもあって、会場の賑わいようも昨日より断然多い。

「さあ!高級黒枝豆!丹波黒!どうぞ召し上がれ!」

千晶も声を張って呼び込みに精を出す。

開始からほどなく、ブースの前には家族連れやご夫婦の人だかりができはじめた。イベントの客層上、ご年配の方が多い。よく見ると20代~30代の人は思ったより少なく、来ている人もご年配の方の息子夫婦など家族ぐるみで来ていることに千晶は気づいた。さらに言えば、見る人見る人どれも身なりがよく、富裕層やそれに属する客層であることにも気づく。

(考えてみればそうか。みんな船のオーナーとか、そういう人たちばかり。基本的にこのイベントに来る人はお金持ちなのよね・・・・・・)

また、販売に立って観察してみると、丹波黒を珍しがる人が少ないことにも気づく。興味は示してくれるのだが、そのほとんどが「どれどれ」と味を確かめるような表情を浮かべている。おそらく以前丹波黒を食べたことがあるーいや、それどころか食べなれているかのような印象さえ受ける。わざわざお孫さんを呼んだにもかかわらず、自分はひと粒ふた粒くらいしか食べない方も数組いた。

茹で方とか、なんかマズったかな・・・・・・。それとも、枝付きの販売が裏目に?それともそれとも、試食させすぎ―?

お客様の反応を観察しながら、千晶は頭の中で想像と思考を巡らせていた。確かに集客だけ見れば上々だが、実際枝豆を買ってくれる人はその10分の1程度と言ってもいいくらいで、ほとんどの人は試食だけしてそのまま笑顔で次のブースへ移っていく。

そのとき、嬉しそうに丹波黒を試食してくださった上品な女性の、うーんと少し首をかしげるしぐさが千晶の目に映った。

「あ、いかがでした?お味、ちょっと茹ですぎましたかね・・・・・・?」

おそるおそる訊ねてみると、その老婦人はそんなことないわよ、と笑顔を浮かべてくれた。

そしてその後に、千晶の予想もしなかった感想が返ってきた。

「これはこれでおいしいけど・・・・・・うーんやっぱり私は『作州黒』かな」

 

さくしゅうくろ?

 

その単語を聞いた瞬間、千晶の脳は「?」マークでフリーズした。

ちょうどそのとき老婦人の知人らしい、(こちらも裕福そうな)ゴルフ焼けがよく似合う男性がブースの前を通りかかった。

「あら!〇〇さんもおひとついかが?今年の丹波黒、まだ食べてないでしょ?」

「あー、ええわええわ!またそのうちようけ送ってくるけーのぉ!」

 

またそのうちよおけおくってくる?

 

 

・・・・・・

 

 

・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

!!!

 

そのとき千晶はすべてを悟ってしまった。

 

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「・・・・・・なるほど、作州黒か」

翌日、チャッキーファームに出た千晶は昨日の出来事を謎の作業員に報告した。よほどショックだったのか、単にイベントで疲れたのか、後ろに結った髪が数本、妖気アンテナのようにぶざまに立っている。

結局、初日で25束、2日目で30束。目標150束完売に対し、チャッキーファームの丹波黒枝豆は55束の売り上げにとどまった。

後日イベント関係者から教えてもらった情報によると、初日の来場者数は500組、2日目が800組とのことだった。その比率からすると延べ来場者数のわずか4%程度に販売できたに過ぎない。それが数字として悪すぎるのかそうでないのか千晶にはわからなかったが、思ったより売れなかった理由に事前に気づけなかったことは千晶の失敗であり、そのことが何よりもショックで悔しかった。

考えてみれば無理もない。イベントは船を持ったお金持ちの人が集まるイベント。お金持ちには知り合いも多い(はず!by千晶)。当然丹波黒の産地である関西に知人がいる人も多いだろう。毎年届く贈りものを食べ慣れていれば、わざわざ買う必要もない。

併せて地元の人に絶大な人気を誇る作州黒の存在。

じつは最初に丹波黒をつくることになったとき、千晶なりにいろいろ予習していた過程でその存在は知っていたのだ(第3話参照)。

「甘かった・・・・・・」

徹底的に打ちのめされた某ボクサーのように、千晶の肩はがっくりと崩れ落ちている。ヘボいのぉ。謎の作業員はそんな千晶をあざ笑うかのようにバッサリと斬る。

「しかしまぁ、収穫もあったんちゃうん?」

千晶が昨日帰宅後にまとめた「テストリサーチ」結果の資料をぱらぱらとめくっていた謎の作業員が、ぴたりと手を止めてそう言った。

「・・・・・・え?」

「これや」

そう言って謎の作業員が差し出したのは、ある発送先の住所だった。

「東京の、これはイベント関係者か?この人がいちばん買ってくれとる」

「あ、そういえば」

それは今回のマリンイベントのため、東京から出張で来ていたイベント関係者の発送先住所のメモと、丹波黒枝豆の受注書のコピーだった。その人は夕方前の、その日最大の集客ピーク時にやってきて、「もうすぐ東京に帰らないといけないんだ!これ、宅配便とかで送れるかな?!」と慌ただしく訊ねてきたのを覚えている。イベントブースからの発送の段取りは組んでいなかったので、千晶は後日会社で契約している宅配便から送ることを約束し、先方の住所を教えてもらったのだ。

そのイベント関係者は住所を記入しているとき、千晶に「私たち東京のほうでも物産展とかいろいろイベント企画しているからさ、機会があったら枝豆ブース出店してよ!」と言ってくれた。

千晶から事の顛末を聞いた謎の作業員は、あごに指をあて何かを画策するかのような表情で意見を述べた。

「東京の市場へ出すとなると、今のチャッキーファームの規模・生産量からするとまだ早いな。けどPR目的とか、違うアプローチやったら話は違う。なんにせよこの丹波黒っちゅう、ひとつのブランドに対する関心は、こっちの人間より東のほうが高いのは間違いない」

(この人、いや、このお方はいったいナニモノ・・・・・・?)

千晶は改めて、謎の作業員の見識や視野の広さに驚く。素性は未だに一切知らない。会社の上司に訊いても「まあまあ、大丈夫だから」とはぐらかされるだけで教えてくれる気配は一向にない。千晶も今ではチャッキーファームの大事な一員として絶大の信頼を置いているが、やはりこうして時々「作業員」らしからぬ慧眼を見せられるたびに「この人はタダモノではない」と思ってしまうのだった。

「東京・・・・・・」

謎の作業員の言葉を受けて、千晶はその地名を口にしてみた。

あこがれの大都会・東京。名もなきシンガーが故郷に錦を飾るため単身深夜バスに飛び乗り向かう先・東京。『王様のブランチ』で紹介されたお店が軒を並べる街・東京。千晶にとって東京は遊びに行くところであり、仕事で行くようなイメージとはかけ離れた存在だった。ましてや「農地」という土地に根づいた仕事に従事している身には、まったく縁がないものであったはずだった。その東京が、思いもよらないタイミングでチャッキーファームの行く先の一つとして浮上してきた。千晶にはまったく現実味のないビジョンである。しかし、この先まったく関わりがないかというと、そうでもない気もする。そんな説明のつかない「予感」めいた感覚が、そのときの千晶の胸に去来していた。そしてそれは、そう遠くない未来に現実の課題として千晶の前に立ちはだかるのだが、今の千晶にはそのことを知る由もなかった。

 

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数日後、いつものように和田山へ作業に行くと、“カミのおじちゃん”ー田中夫妻が先日のマリンイベントの一件からこんな話を千晶に相談してきた。

「チャッキー、じつはちょっと見てほしいもんがあるんよ」

そう言って夫妻に連れてこられたのは、あるネギ畑だった。

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その畑のネギは、千晶が最近見たものよりいくぶん土を高く盛られていた。

「おばちゃん、見せたいのってこのネギですか?」

「そうや。これな、岩津ねぎ言うて、この一帯でのみ栽培されてるネギなんよ」

岩津ねぎ―千晶はそのネギの名前を初めて聞いた。見た目はふつうの長ネギだが、やや青葉の部分が長い気もする。土の寄せ具合から察すると、白い茎の部分も同じぐらいの長さだと考えられる。一般のネギより長いかも―生産者のはしくれとして、この半年余りにいろんな農家を訪れ勉強させてもらった甲斐あって、千晶にもその程度のことは容易に推測できた。そして―このねぎ畑の香りの良いこと!

「チャッキー、この岩津ねぎ、つくってみぃひん?」

「え?私がですか?」

その突然の展開っぷりにきょとんとしたものの、千晶はその“相談”に大して驚きはしなかった。ちょうど丹波黒のイベントも終わり、そろそろチャッキーファームで生産する作物をいくつか決めなければならない時期にさしかかっていたタイミングだ。渡りに舟。むしろ考える手間が省けてありがたい。

「全然!いいですよ!こちらこそありがたいです!」

そのときの千晶はまだ知らなかった。この“岩津ねぎ”がチャッキーファーム史上最大の手間と労力をかけることになり、同時にチャッキーファーム最大の「武器」になることを。

(つづく)