もしも都会の女子社員が日本で園を開いたら。

Japanese

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「チャッキー!」

今日も謎の作業員の怒号が飛ぶ。

「肥料はどこに置いたんや!」

「あわわ、す、すいません!まだ納屋です!」

季節は梅雨にさしかかろうとしている。

「カミのおじちゃん・おばちゃん」こと田中夫妻のもとを訪れてから数週間。千晶は謎の作業員のフォロー(と、たびたびの怒号)を受けつつ、荒れた田畑を切り開き、どの作物が適しているか見極めるため数種の野菜をチャッキーファームに植えていた。

この1か月で、千晶と謎の作業員の立場は“ほぼ”確定した。千晶が何かやらかしたり、抜けたとたんに彼の怒号が発するのだ。しかしそれでも謎の作業員は忍耐強く、かつ的確に千晶のフォローをおこなっている。

「作業員さんって、ゾロみたいですね」

一度、千晶は彼に対して思い浮かんだ印象をそのまま伝えたことがある。

「ロロノア・ゾロっていう、マンガのキャラクターです」

「なんや、それ」

「ゾロは船長のルフィがだらしないと、一番に怒るんです。それでも、船長として立てるところはちゃんと立てる。だから作業員さんは、ふだんは怒るけれど園長の私をちゃんと立ててくれる、ゾロみたいな人だなぁって」

謎の作業員に説明しながら、千晶は思わず苦笑した。自分の父親くらい年の離れている男性である。今どきのマンガの話をして伝わるわけがない。実際、千晶の父親は『ワンピース』と聞いて「それはなんだ?服屋の話か?」と言ったくらいだ。

ごめんなさい!わかんないですよね!―千晶がそう言おうとしたとき、謎の作業員がにやりと笑った。

「―なんで知っとるんや・・・・・・」

「え?」

彼のいたずらっぽい笑みを、千晶は今も覚えている。

「・・・・・・ワシはなぁ、悪魔の実の能力者なんや」

この件に限らず、千晶は謎の作業員の鋭いアンテナ感覚にたびたび驚かされてきた。そしてあの時、彼が冗談で言った「能力者」というのも、あながちウソではないな、と千晶は思っている。

チャッキーファームの開墾に取り組み始めた初日、謎の作業員はどこからか重機と操縦者を突然連れてきた。

「どどど、どうしたんですか?!」

「どうしたって、連れてきたんや」

この後も、千晶は謎の作業員の「召喚能力」にたびたび救われることになる。いったいどこから連れてくるのか。そして彼らと謎の作業員のつながりは何なのか。千晶には皆目見当がつかない。しかし謎の作業員は「その日・そのとき必要な人材」を確実に連れてくる。これはまさしく「悪魔の実の能力」だ。さしずめ、「ヨビヨビの実」とでも呼ぶべきか・・・・・・千晶はそんなことを考えていた。

実際、農地を持たない一個人が農業を始める場合、謎の作業員のような「協力者」は欠かせない。

チャッキーファーム立ち上げから今日まで、千晶は仕事の合間を縫ってさまざまな関連書籍に目を通してみた。その中でまず驚いたのは「一般人が畑を入手することは面倒くさい」という事実だった。

日本には「農地法」という法律がある。この法律によると、(日本の)農地または採草放牧地について、使用及び収益を目的とする権利を設定したり移転することについて規定が設けられており、土地の権利の設定、移転には原則として農業委員会の許可を得なければならない。つまり農業者でない一般の人や法人が農業委員会の許可を得ず、そのままの状態で農地を借りたり、購入取得することは原則として認められず、場合によっては懲役や罰金の対象となるのだ。

農地法は本来、国民に対する食料の安定確保を目的に定められたものである。言うなれば、「ただでさえ食料自給率の低い日本。ビルを建てるのもいいけれど、最低限の畑は確保しておきましょうね」という理屈だ。実際農地法が日本の食糧事情に貢献している側面もある。しかしその反面、法律で縛られているがゆえに、引っ越しでアパートやマンションを借りたり、ベンチャー起業用に事務所を借りる感覚で農業を始めることができない困難さがあることも事実なのだ。

現在農地法は改正され、地方の自治体や農業委員会によっては規制がそれほど厳しくない地域もある。場合によっては面倒な書類提出をすっ飛ばしてくれる、農業支援に篤いケースに出会えることもあるらしい。いずれにしても農業は国の「食」を担う根幹であり、そのために通常のビジネスとは違う規制がかかっているのが実情である。

言い方は悪いが、千晶は今回「巻き込まれた」形で農業に携わるハメになった。そのため、千晶自身はこれらの手続きに一切関与しておらず、舞台がすでに整えられた時点で放り込まれている。いま自分が開墾しているチャッキーファームは、もともと耕作放棄地であった。その借り受けを段取りしたのはもちろん会社であるが、もとの持ち主とのパイプは謎の作業員がつなげていた。

農地法というハードルの次に、農業を目指す人の前に立ちはだかるのがこの「どの農地を借りるか・購入するか」である。

農村においては人間関係が重視される傾向が強い。いわゆる「よそ者はオラの村には迎えられねぇ」という感情である。祖父母の実家に耕作放棄地があるなど、何らかの接点があれば決して高いハードルではないのだが、「完全なるよそ者」には「完全なるアウェー」となるのが実情である。しかもルールをクリアすれば何とかなる法律と違い、生身の人間の感情に紐付くハードルのため、場合によっては農地法よりも攻略しづらい。

―もし、自分がゼロから農業を始めようと思っていたら。いったい今日までかかった時間の何倍の手間と時間を要するのだろう―。

法律・行政・自治体・コミュニティー。農業や農起業の最初の試練と言っても過言ではないこの事項に千晶は今後より深く関わっていくこととなる。すでに日本ではこれらの課題に向き合うべく様々な農ビジネス企業や団体、NPO法人が設立されており、農業支援のネットワークも着実に広がりつつある。そのいくつかの団体と千晶は出会い、交流していくことになるのだが、それはまだもう少し先の話である。

 

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千晶は今、会社から「ミッション」を課されていた。

それは折りしも農地借り受けの件で、みずから部長に問い合わせたときのことである。問い合わせに対し、部長は「借り受けについてはこちらですでに手配はしているが、後日君には書類申請のため市役所に行ってもらいたい」と答えた。

(やっぱり、何らかの申請が必要なんだ)

このとき千晶は少し安心した。何も知らなかったところから、わずかとはいえ農業に対する不安点を自分で感じられたこと、そしてその不安に対し明確な対策が立ったことにである。それは同時に千晶に自信と喜びをもたらした。今はまだ役に立たない情報だけど、これから農業を志す人に、少しでも道すじを伝えられるかもしれない―

―千晶が内心、ちいさなガッツポーズをしたときである。部長は話題を変え次の話を切り出した。

「ところで―君には速やかに着手してほしいことがあるんだ」

「あ、はい。なんでしょうか?」

「うん。夏には数種類の作物を収穫できるだろう。そこでだ。君にその作物を売ってほしい」

「はあ」

間の抜けた返事をとっさにしてしまったものの、次の瞬間、千晶はその意味を理解し狼狽した。

「え?あ、はい、えと、売るって、どこにですか?」

「それを君に見つけてほしい」

え~?!

「売るものは何でもかまわない。ただし・・・・・・ひとつだけ条件をつけよう。“普通”に売ってはいけない。できる限り、作物にブランド価値をつけるような売り方を見つけてくれ」

ブランドってなんですか?!千晶はムンクの叫びの絵の心境で部長に訴えたい衝動に駆られた。いや、それより野菜ってどうやって売るんですか?!いやいや、いきなりそんなの無理ですわ部長さん!

千晶がまだ小学生のころ、父親が読んでいたある本のタイトルが脳裏をよぎった。タイトルはたしか、『ノーと言えない日本人』だったような・・・・・・私はそんな時代の日本人じゃない!よし、言ってやる!

「あの!部長―」

「これは業務命令です」

「―はい」

その夜、千晶が愛犬のチャッキーにひとしきり愚痴をこぼしたのは言うまでもない。

 

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その日、千晶は通常の業務を終え、市内のダイニングバー『グリル森』(〒700-0827 平和町7-28)で遅い夕食をとっていた。

『グリル森』は野菜をふんだんに使ったメニューが豊富で、千晶は外で食事をする際にたびたびここを利用していた。お気に入りは「タナカすぺちゃる」と名付けられたスープパスタ。名前はオーナーの森さんと懇意にしているある経営者の考案メニューのため、その人の名前からとったらしい。しかしその日「タナカすぺちゃる」は売り切れていたため、千晶はポトフを注文していた。運ばれてきたポトフは香りもよく、胃にやさしい味付けだったが、千晶は食事もそこそこに、傍らに開いたメモ帳とにらめっこをしていた。メモ帳には「作物を売る」「ブランディング」と書かれた文字が丸くペンで囲まれている。ここ数日、部長からの「宿題」に取り組んでいるが、いっこうに解決策を見出せぬまま今日まで至っている。

「ブランディングねぇ・・・・・・」

千晶は今回、それまで漠然と理解していたブランディングの定義を再確認しようと、いくつかの関連書籍や記事を読んでみた。数々の専門的な定義はあるものの、ブランディングがもたらすものは大きく分けて

  • 強力な差別化:ブランドネームやロゴなどによる個性的なイメージ。
  • 選択の意思決定の単純化:顧客の知識が整理されることで再び同じ物を選ぶようになる。
  • ユーザーの顧客化:親しみや信頼が増大されることでブランド・ロイヤルティが形成される。
  • 価格競争を回避:品質や価格だけではなく『 顧客にとっての価値 』でも差別化される。
  • プロモーションコストの削減:以上のことから販売促進の必要度を低下させることが可能になる。

の5点に集約される。

チャッキーファームでつくられる作物はこのいずれに関してもまだ全然レベルの低い段階なのは言うまでもないが、

(じゃあ野菜のブランディングって、どうやって育てていくのだろう?)というのが、千晶のいま感じている疑問だった。

たとえば米なら「魚沼産コシヒカリ」というブランドがあるし、牛肉なら松坂牛などがそれにあたるだろう。これらは生産者の長年の努力と、品評会などの評価、そして実際に食した人の評価が育てたブランディングの事例といえる。チャッキーファームの作物も、まず育て方の創意工夫や努力は当然として、それを食べてもらい、評価してもらうことがブランディングにつながるだろう―というところまでは千晶も考えたが、その手段として明確なものが浮かんでこない。自分の家族や会社の人、友人知人に食べてもらうという手もあるが、いまひとつピンとこないし、イベントを開いて試食するというのも考えたが、費用がひどくかかりそうで、現時点で考えうるベストな手段とはどうしても思えない。

また、「価格競争を回避できることもブランディングがもたらす効果のひとつ」というのもひっかかっていた。この点に関し、千晶は数日前にリサーチのため訪れた市内の青果市場で聞いた話が頭に残っていた。それは生産者とJAに関わる話である。

JA―農業協同組合は、日本において農業者(農家および小規模農業法人)によって組織された協同組合である。「農協」とも略される、町を歩けばよく見かけるあのJAである。農業の指導や流通支援、金融活動など多岐にわたる活動をおこなっており、日本の農家の大半がこのJAに加盟しているといっても過言ではない。

青果市場を訪れた際、千晶は生産者数人をつかまえて「この野菜ってどんな栽培方法で育てたのですか?」「この価格ってどうやって決めたんですか?」「出荷のルールとかってあるんですか?」と聞きまくった。素人丸出しの質問だったが、自分は素人だから仕方ない!という開き直りの気合いと、若い女性が必死に質問してくるさまに同情や関心を示してくれたのか、ほとんどの人は快く答えてくれた。

その中で最も多く、印象に残っていた回答が「うちはJAさんに任せているから」だったのだ。

JAはその活動の幅の広さゆえに、極端に言えば「作物をつくってJAに持っていけば、とりあえず出荷して売ってくれる」という利便性をもたらしてくれる。高度成長期の流通革命以降、そのシステムは一層強くなった傾向も見られる。千晶ははじめその話を聞いたとき、うまく言葉にできない「?」を感じていた。数日経っていまそのことを思い返してみると、農作物ブランディングのカギはここにあるのではないか―と思えてくる。

千晶はさっそく、手元にあったスマートフォンを開き、ネットで「農業が儲からないワケ」で検索をかけてみた。

表示された検索結果を順にたどっていくと、『新しい「農」のかたち』というタイトルに目がとまった。リンク先を開いてみると、月刊「ニュートップL.」 2011年10月号に掲載(アップ)された、「経営感覚をもった農家を育て「儲かる農業」をめざす異色の農業生産法人(有限会社トップリバー・社長 嶋崎秀樹氏)」の記事があった。

―第一は、農協を通じた卸売市場ではなく、一般事業者を取引先にしていることだ。卸売市場を通すと、売値が変動するので収益は安定しないが、契約栽培・販売では価格を事前に取り決めるので、相場に左右されない。納入数量も決まっているので、計画的に栽培でき、事前に生産コストもわかる。 つまり、従来のどんぶり勘定の農業に企業経営の基本を持ち込んでいるのだ。(中略)同社は農協や市場に頼らないため、農機や肥料、備品類など農協の指示に従わずに、独自の工夫で合理化を進めている。 レタスの場合、農協に出荷するにはサイズごとに揃え、段ボールにはサイズ別に詰める必要があるため、収穫現場で分別しながら箱詰めする。しかし、同社ではサイズにこだわらず、同一サイズのコンテナに収めて出荷。分別の必要がないので収穫時間も短縮できる。(月刊「ニュートップL.」 2011年10月号)

また別の記事では、農協に頼ると楽な反面、マージンが取られるので収益が下がる、とも書かれていた。仮にキャベツをスーパーに並べる場合、農家から農協→中央卸売市場→仲卸(問屋)→小売(スーパーマーケットなど)と、じつに4つの仲介を経るためマージンも最低4回とられる、ということになる。

JAを介さない販路の開拓。農作物ブランディングのヒントはここにあるかもしれない―千晶はスマートフォンを握りしめ、そう確信した。

そうなると、次の課題は「取引先を見つけること」だけど―

ここにブランディングに効果をもたらす工夫が必要かもしれない。千晶はそのとき、会社の勉強会で聞いた「ブランディングのコツ」の話を思い出した。

「ブランディングとは育てるもの。その第1は、効果的なフォロワーを味方につけることである」

フォロワー。つまり、チャッキーファームの作物を評価し伝播してくれる存在である。口コミはその最たる例だが、それも社会的に権威があったり、信頼のある人物がのぞましい。野菜なら野菜ソムリエ、料理研究家などがそうだろう。しかし自分にはもちろんそんな知り合いはいない。会社のつてをたどってみる手もあるけど・・・・・・。

(あっ―)

そのとき千晶は自分の目の前に置かれているポトフを目にしてひらめいた。

(料理人を味方につけるのはどうだろう―?)

それは以前、芸能人が有名店の料理の値段を予測し、設定金額に近い順から順位を決めるバラエティ番組を見ていたときのことだった。その回のレストランは県外で質の良い自家栽培をおこなっている小さな農家と直接契約し、その食材を使った料理で信頼と評価を得ているということだった。もし、このO市内で人気の飲食店と契約を結ぶことができたら、それはチャッキーファームの作物のブランディングにつながるのではないか―。

千晶の脳内で、それまでバラバラだったいくつかのキーワードが結びつき、ひとつの線になる感覚がした。

「チャッキー、仕事立て込んでるの?相変わらず大変だね」

オーナーの森さんが、おかわりのパンをテーブルに持ってきてくれた。千晶はすかさず森さんに質問した。

「あの!森さん、お店の食材、とくにお野菜ってどうやって仕入れていますか?」

「うん?うちは普通にスーパーで買っているけど」

(いける!これはいけるぞ千晶!)

千晶は心の中で小さくガッツポーズした。

「そうなんですね。ちなみに森さん、今なかなか手に入らなくて困っているとか、これ欲しいなーみたいな野菜ってありますか?」

「そうだなぁ・・・・・・最近だと、バジルかな。なかなかスーパーでも見つからなくてね」

(バジル。いけるかな?・・・・・・いや、やってみよう!)千晶はそう決断し、森さんへ提案した。

「それ、ウチでつくります。つくりますので、森さん買っていただけないですか?」

 

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数日後、千晶はチャッキーファームへスイートバジルの苗を持参した。

調べてみると、「バジル」と一口に言ってもさまざまあることがわかった。最もポピュラーなスイートバジルをはじめ、レモンバジル、ホーリーバジル、タイバジルなど、その種類はじつに150種を超える。千晶が選んだのはその中のスイートバジル。これは『グリル森』の森さんが希望している種であることと、最もポピュラーな種のため入手しやすく、栽培方法も調べやすいからであった。苗を買いに行ったとき、ちょうど「カミのおじちゃん」の畑の手伝いに行っていたのだが、彼もバジルを本格的に栽培したことはなく、今回千晶はほぼ独学でバジルを育てることにした。さいわい、スイートバジルはガーデニングで育てている人も多く、育て方はネットで検索すると思った以上に丁寧な解説つきで見つかった。また苗を購入したホームセンターの店員も親切に教えてくれた。千晶はこれらの情報に加え、書店で専門書を購入して栽培方法を学んだ。ポイントは、発芽まで日光を多くあてることと水やりをこまめにおこなうこと、そして葉を大きくするため間引きをおこなうこと。またスイートバジルは花が咲いてしまうと品質が落ちるため、蕾が出た時点で摘むことにも注意した。苗ははじめプランターで育て、葉が大きくなった時点で謎の作業員に頼んで畑に移してもらった。

チャッキーファームで育てていたほとんどの野菜にそうしていたように、千晶はこのスイートバジルも有機農法で臨んだ。畑に移してからは肥料を与えたが、その肥料には牛糞をメインにナタネ油粕、豚骨ペレを使用した。豚骨ペレにはリン酸などが含まれており、野菜の食味を向上させる働きがある。

スイートバジルは1ヶ月もすると出荷できるまでに育った。土や太陽の影響もあるだろうが、予測していたより見事な葉をつけている。

(バジルってすごい。初めて育てたのに、こんなに大きくなるなんて)

千晶は、スイートバジルのたくましい生命力に驚いた。ネットに多く書かれていたように、たしかにガーデニングの入門として最適な作物のひとつと言えるだろう。

そしてそれは同時に、千晶にある感慨をもたらした。

この手軽さゆえに、バジルを自家栽培して食材に使う料理人は少なくない。ときどきテレビなどで紹介され、なんとなくその事実は認識していたが、今回栽培方法を自分で調べた際にも、そういった料理人の記事やブログをたびたび見かけ再認識した。しかし同時に、そこまで手が回らない、ネットでも発信していない料理人も多くいることに気づいた。そうしたい思いはあるが、構えた店にスペースがなかったり、一人で切り盛りして時間の余裕がなかったり、さまざまな理由で自家栽培に踏み切れていない料理人は確実に存在する。

じつはスイートバジルの栽培期間中、千晶は会社の同僚に呼びかけ、仕入れを受け入れてくれる飲食店が他にもないか探していた。結果、『グリル森』以外にも『Bar & Space Conte』、ワインバーとコーヒーの専門店『Charat』(〒700-0822 表町1-3-53)という2つの飲食店でバジルの仕入れを引き受けてくれた。なかには千晶の勤める会社との「つきあい」から善意で引き受けてくださったところもあるかもしれないが、それでも千晶にとって、こういった販路のニーズが低くないことを実感できたのは大きな収穫であった。

実際(会社のものではあるが)こうして農地を所有している自分にとって、栽培は「可能なこと」、言い換えれば「あたりまえにできること」である。しかしその「あたりまえ」が、相手にとっては「価値」に変わる―商売にとって基本とも言えるこの原理を、千晶は心のどこかで「農業だから関係ないや」と括っていた。そうじゃないんだ。ものをつくって、アピールして、売る。買ってもらう。品質と信頼を高めていく。それは商品も農作物もいっしょだ。

農村のあたりまえは、外に対して価値となる。

それは、以前千晶が感銘を受けて以来バイブルのように持ち歩いている『農村起業家になる』(曽根原久司 著・日本経済新聞出版社・2012)でも触れていた。同書には、より農ビジネス・農経営の視点に立ち以下のように書かれてある。

―日本の田舎には厖大な潜在資源があり、こうした資源をうまく活かせば、今後10兆円の産業が興るだろう(中略)日本の農村資源は非常に豊かだが、上手に使われていない。もしもそれが活用されるならば、それくらいの規模の産業になるだろう。

 

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梅雨も終盤にさしかかったその日、千晶はチャッキーファーム第1号の出荷をおこなった。

届けるのはスイートバジルに、自生していたミントも加わった。じつは商談を進めていた際、チャッキーファームにミントが生えていた話を聞いた取引先のシェフやオーナーが「カクテルに使おう」言ってくれたからだ。それまでもひととおり栽培の手を加えていたミントだったが、出荷が決まったからにはちゃんとしたものをお届けしようと、より本格的に手入れをしていた。商談では他に、チャッキーファームで育てているピッコロ人参やサツマイモの取引も決まったが、これらは収穫がもう少し先になるため、第1弾はスイートバジルとミントに留めた。

出荷に合わせ、会社の経理に頼んで伝票用の印鑑もつくってもらった。本格的な直契約にむけた事前リサーチも考慮して、スイートバジルは1枚10円、ミントは25グラム300円をベースに(リサーチ価格として)設定。ただし店舗ごとに使う量やニーズが微妙に異なるため、価格はベースをもとに各店舗と交渉、契約した。スーパーで購入するよりも品質ははるかに新鮮で、価格も比較的割安だったため、契約に結び付くまで大きな支障はなかった。スイートバジルは水分を切らすと痛みがはげしくなるため、霧吹きで適度に湿らせたうえでパックに入れる。飲食店のある市内まで車で約40分。まさに「獲れたて新鮮野菜」である。

反応はすぐに帰ってきた。数日後、様子をうかがいに『グリル森』へ行くと森さんは開口一番「次もお願いするよ」と言ってくれた。『Conte』『Charat』も同様に取引を続けると言ってくださった。そればかりでなく、メニュー化して話題にしようという、願ってもない提案までいただいた。

千晶はそのことを部長に報告した。部長はうなずき、

「うん。その調子で引き続き進めてくれ」と評価してくれた。

小さな一歩ではあるが、千晶は農作物の販路開拓とブランディングに対して確かな手応えをつかんだ。しかしそれは達成感や満足感ではなく、次のステップ・課題として千晶の頭を重くしていた。農業をビジネスと捉え、経営戦略まで練ること。同時に作物の広告戦略プランニングも明確にしていく必要があること。ひとつ山を越えたと思ったら、山頂の先に途方もなく大きな連峰がそびえているような感覚。千晶の道のりは、さらに長く険しい。

(ああぁ~!私やっていけるのかな~?)

まだ開墾しきれていない区域の石を取り除きながら、千晶はチャッキーファームで一人大きなため息をついては肩を落とす。少し離れたところで竹をさばいていた謎の作業員は、けったいなものでも見たかのようにけげんな表情を浮かべる。

そんな千晶の憂鬱とはうらはらに、農園事業プロジェクトは次のステップへ進む。

その日、謎の作業員と昼食をとりにチャッキーファーム近くの小さなラーメン屋で(千晶も謎の作業員も絶賛の)しょうゆラーメンをすすっていたときである。謎の作業員のケータイが鳴り、店の外でしばらく何かを話した後、戻ってきた彼が意気込むように千晶を席から立たせた。

「よしゃ、これから行くで!」

「え?行くってどこにですか?てか私まだラーメンが残ってます」

「カミのおっちゃんのとこや。いつまで食ってんねん」

「え?だってカミのおじちゃんとこのお手伝いは来週のはずじゃ・・・・・・」

ふふふ。謎の作業員が不気味に笑う。

「ついに届いたんや。ブランド枝豆、畑のブラックダイヤモンドや」

(つづく)